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Current Location: Tokyo
Reading: パーティーが終わって、中年が始まる by pha
Listening: 天きりん by Regal Lily
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老いていくこと
生月島の南北を繋ぐ
今週の気になる記事
Q&A
Outro
老いていくこと
大阪から戻ると、東京はすっかり涼しくなっていて、夜には寒さすら感じるようになっていた。Tシャツとショーツで眠りについていると、足元がひんやりと冷たい。そのせいだろうか、先日、久しぶりに明け方、得体の知れない怖い夢にうなされて目が覚めた。建築途中か解体寸前のビル、そこに集う昔の仲間たち。
昨年の冬をこの部屋でどう過ごしたのか、はっきりと思い出せない。季節の変わり目の順応にはいつも時間がかかる。冬から夏に移るとき、しばらくの間、体は熱に戸惑い、まるでエネルギーを吸い取られるように疲労が蓄積していく。反対に、夏から冬へと移るとき、慣れない寒さが体に刺さり、その冷たさが骨まで染み渡っていくように感じる。
服をあまり持っていないので、外に出るときとほぼ同じ格好で部屋の中でも過ごしている。けれど今年は少しスタイルを変えてみようかと思い、2年ぶりに部屋着を新調してみた。Amazonで見つけたスウェットフリースの上下セットだ。実は以前にも同じものを着ていた時期があるが、その時も、お値段以上の心地よさに驚いた。体を包み込む柔らかな感触、肌に優しく寄り添うぬくもりには、今年の冬も乗り越えられそうな気がしてくる。
今週は、phaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』という本を手に取った。最近なんとなく感じていた「老い」についての漠然とした思いが、彼の言葉によって見事に言語化されていた。
歳を取るということは、ただ年を重ねるだけで重厚さを帯び、存在そのものが権力となってしまうということ。年配の人がただそこにいるだけで、周囲に威圧感を与える。場合によってはそれで仕事がしやすくなる部分はあるけれど、若者にはうっとおしく思われてしまう。自分もそうなっていくのが嫌だなと思う。彼はまた、シェアハウスを転々としたり、住まいを2年ごとに変え続けてきた過去を振り返り、新しい場所とともに精神を若々しく保ち続けてきた、と語る。自らの経験を通して、場所や時間の変化が人の心にどのような影響を与えるかを深く探求している。
いつも心惹かれるのはハッピーエンドの物語よりも、どこか哀愁を帯びた、静かに衰退していく物語の方だ。歳を重ねるにつれ、幸福が増していくわけではない。むしろ、持っていたものが次々と不要になり、それを手放さざるを得ない時が訪れる。喪失の連続、それが老いというものなのだろう。
「そんなに喪失を経験しなければならないのなら、最初から何も持たなければいいのではないか?」そう考えてきた。持たないことで、失うことの苦しみを回避できるなら、最初から身軽な方がいい。だから僕は、ものを持たないことを選んできたようなところがある。所有を避け、余分な荷物を抱え込まないこと。
20代はモノを持ちすぎていたし、あらゆるものを欲していた。しかしそれが無駄だったとは思わない。逆に20代の頃からミニマリズムやヨガに出会っていたら、今の自分は無いだろうと思う。あらゆる物事にはより戻しや、反動がある。増えれば減るし、減れば増える。自然にバランスを取るように世界はできている。バランスが崩れると、危険な方向に行ってしまう。
この本を読んで死についても考えた。一人で年を重ねるということは、一人で死んでいくことでもあるのだろう。家族もパートナーもいないまま、老いを迎える。けれど、もしかすると僕が老人になる頃には、独り身で老いる人のための施設やサービスが今以上に充実しているかもしれない。既に日本の人口構成はそのようになっているのだから。
スイスでは安楽死が合法化されている。確かミシェル・ウエルベックの小説に、自ら命を絶つためにスイスへ旅立つ主人公の父親が描かれていた。あのシーンは、今の日本の高齢社会を描いているようだ。未来の日本でも、あの物語の中のように、静かに終焉を迎えるための選択肢が普通になるのかもしれない。
最近では、AIの進化も目覚ましく、ChatGPTのようなツールが個人の言動を記憶し、対話を通じてまるで僕自身を知っているかのように振る舞う。絵文字まで使って会話をする様子には、もはや機械との境界が曖昧になっているように感じることもある。だが、それでも僕は、文章を書くことを手放したくないと思う。AIがどんなに優れた文章を書けたとしても、自分の手で書くことの楽しみを捨てるわけにはいかない。書くことそのものが楽しく、キーボードやペンを動かすこと自体を享楽しているのだ。思考を紡ぎ、言葉を選び、書くことで見つかるものがある。行為としての写真があるように、行為としての執筆がある。その世界線においては、写真それ自体や、書いている内容はさほど重要な意味を為さない。
1ヵ月半ほど日本の各地を巡り、ようやく今週はこのホワイトボックスで一息ついている。よく「移動距離に思考は比例する」と言われるし、僕も長年そのように思ってきたけれど、はたしてそれは本当だろうか?もちろん旅先でインスピレーションが湧いたり、良い映像が撮れることも多い。けれど自分の部屋で、好きなコーヒーを淹れながら落ち着いて考えを巡らせ、言葉や映像を形にする時間のなんと贅沢なことか。
移動続きの生活に少し疲れてしまったのかもしれない。気温が下がって寒くなってきたこともあるだろう。以前は、旅や引っ越しを繰り返す生活を当然のことと考えていて、旅せずに同じ部屋に何十年暮らす人の気持ちが理解できなかったけれど、最近は理解できるようになってきた。あるいは、僕自身も歳を取ってきたのだろうか。
老いるということは、こういう感覚なのかもしれない。変化を求めず、安定を心地よいと思うこと。だが、こうした思いもまた、いつかは手放す時が来るのだろう。それもまた、喪失の一部なのかもしれない。
生月島の南北を繋ぐ
ハイクログからの抜粋となります。
長崎県平戸にある生月島を南北に歩いて繋ぐ旅がしたいと思った。調べてみると九州自然歩道の一部になっているトレイルがある。サンセットロード付近の断崖から、最北端の灯台まで、6.5kmほどの道。海と山を縫いながらのデイハイクに良さそうだ。そのような道があるのも知らなかったし、おそらくこのまだ暑い季節は草が多い茂っていて無理だろうなと直感的に思った。それでも9月の中頃になるとなんだかそわそわして、気づけば飛行機に乗っていた。道の状況を確かめてみたかった。
今週気になる記事
・「安楽死カプセル」に371人集まったが…最初の使用から2週間で使用中断=スイス
先月基準で371人がサルコの利用申込手続きを踏んでいたが、1人目の利用者の死亡以降、該当の手続きが中断された。 ヒト1人が横になれるほどの大きさのサルコは、機器の蓋を閉じてカプセル利用者がボタンを押せば窒素が噴射されるように設計されている。利用者がボタンを押せば30秒も経たずに空気中の酸素量が21%から0.05%に落ちる。一瞬で空気中の窒素の量が増えて利用者は低酸素症で死亡に至る。
水銀が環境に放出されると、海や水路に沈殿して公衆衛生問題になる可能性があります。天然のバクテリアが水銀を吸収してメチル水銀に変換し、食物連鎖に導入します。小魚はメチル水銀を摂取または吸収し、より大きな魚に食べられます。しかし、水銀は分解または溶解する代わりに、食物連鎖のあらゆるレベルで蓄積されます。マグロなどの大型魚の体内の水銀濃度は、周囲の生息地よりも大幅に高くなる可能性があります。
・The short history of global living conditions and why it matters that we know it
グラフは、世界の人口のほぼ10%が極度の貧困状態にあることを示しています。また、200年前には、世界の人口のほぼ80%が同じ状況にあったことも示しています。1820年には、少数のエリートだけがより高い生活水準を享受していましたが、大多数の人々は今日極度の貧困と呼ばれる状況で暮らしていました。それ以来、極度の貧困層の割合は継続的に減少しました。世界の多くの地域が工業化と経済成長を遂げ、より多くの人々を貧困から救うことが可能になりました。1950年には世界の約半数が極度の貧困状態にありましたが、1990年にはその割合はまだ3分の1を超えていました。2019年までに、極度の貧困状態にある世界の人口の割合は10%を下回りました。
Q&A
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Outro
今週は久々に東京にいます。行きたい山もあったのですが、雨予報で断念しました。東京で幾つか撮影もあり、溜まった編集や仕事をこなそうと思っています。移動が続いたので、ホワイトボックスで腰を据えて?過ごすのが大きな楽しみになっています。ネスカフェを淹れて、チョコとナッツを齧りながら作業したり、本を読んだり。ご無沙汰の友人たちとも会ったり。
先日の大阪のVLOG動画をYouTubeにアップしましたので、よろしければ御覧ください。だいぶふざけています。尺的には35分ほどですが、一泊二日だったので、その間ずっと役を演じきった感じです。大した演技はしていないのですが。
様々な仕事をしながらYouTubeの編集も同時に進めているので、ヨガの時間が少し減っています。今週は特にきつかったです。それでも、できる時に、できることをやる、という気持ちで進めています。近頃はどのような状況であっても、ヨガと共に生きている、という感覚があります。自分の中のスタンダードというか、標準=デフォルトモードにヨガを備えているような、そんな感覚です。
ポーズを取るだけがヨガではなく、マット以外の練習こそ大事だとも言われます。本来のヨガ、つまりパタンジャリのヨガスートラに書かれていることは、噛み砕けば「心の動きを滅すること」で、アーサナとは「安定して快適であること=心地よく、かつ安定している姿勢」なのです。複雑なポーズをキメまくることはヨガの本質ではない、そう考えれば、いつでも、どこでも、どんな状況でもヨガはできるのだと思います。自分のペースで練習を続けていきます。