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Current Location: Tokyo
Reading: Beyond Backpacking by Ray Jardine
Listening: ビッチのカバンは重い by KOHH
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再び増えたものにこそ、人の生き様が表れる
Q&A
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Outro
再び増えたものにこそ、人の生き様が表れる
持ち物を減らしていくと、自分が本当に好きなものや、やりたいことが徐々に明確になる。しかしすべての持ち物が55個にまで減ってしまうと、もはやそこに残るのは生活必需品ばかりで、何を好み、どんな人間かは、持ち物だけでは判断できなくなる。
常に物を減らしたり、増やしたりと、微妙な増減を繰り返している。意識的にそうすることもあれば、自動的に増減する時もある。時には楽器が増えたり、DTMの機材が増えたり、最近では冒険のためにバックパッキング用の登山道具がまた少しづつ増えてきた。
一度、極限まで持ち物を減らすと、自分が本当にやりたいことに気づく瞬間がある。「一度、ゼロにして考え直す」という方法だ。
僕の場合、それははっきりしていて、写真、音楽、そしてバックパッキングだ。これまで何度これらに必要な道具を手放しては、再び買ってきたことか。この捨てては買っての繰り返しを傍から見れば、精神分裂症だと思われても仕方がない。
一番持ち物が少なかった時期は40個程度だったが、その時は音楽のための楽器も、写真のための機材も、バックパッキングの道具もほぼすべて手放していた。だが、そうして1年ほど過ごすうちに、無性にギターが弾きたくなり、マーティンのアコースティックギターを購入した。どうしてもエド・シーランの曲を弾きたかったのだ。(それは集大成として下北沢のライブハウスでなぜか弾き語りライブで披露されてしまった)久々に弾くアコースティックギターは最高で、その喜びは格別だった。しかし、また引っ越しと移動が続く生活になると、楽器を運ぶ手間が大きく、結局そのギターも手放してしまった。
このようなサイクルを何度も繰り返してきた結果、物を手放すことにほとんど躊躇しなくなった。後悔もほとんどない。なぜなら、必要な時にまた買い戻せばいいからだ。この世の中には物が溢れていて、店に行けば楽器はいくらでも手に入る。だから、所有せず必要な時に手に入れて使えばいいという、まるで全てのモノがレンタルであるかのような感覚で生活している。実際にあの世には持っていけないのだから、この世界の市場のどこにモノが存在しているかだけであって、「所有」ということ自体が幻想なのかもしれない。
もちろん、楽器の演奏には日々の練習が重要で、常に部屋に置いておいて練習できる状態にすることが上達の鍵だと知っている。しかし、僕の場合は今は趣味として楽しむ程度なので、それほど厳密に楽器を持ち続ける必要はない。
写真やハイキングギアについても同じだ。撮影機材は現在、仕事だけでなくYouTubeの撮影にも使うため、必要最低限のものは揃えている。撮影仕事よりもむしろYouTubeで使う機会のほうが多く、そしてYouTubeが仕事になってしまっているという捻れたことが起こっている。
ハイキングギアに関しては、最近の為替や政治的な問題も絡み、必要な道具が欲しい時に手に入らないことが増えてきた。多くのアイテムが日本ではなく、アメリカやヨーロッパ製であることが原因だ。
シーズン的な問題もあるため、夏前に必要なギアを揃え、今年はハイキングシーズンを迎える準備をした。それによって、持ち物が20個ほど増えた。
ここで気づいたことは、物を減らす過程でも、増やす過程でも、自分にとって大切なものや本当にやりたいことが浮かび上がってくるということ。つまり、持ち物について考えること自体が、自分自身の存在や、やりたいことを見つめ直す行為にほかならない。
例えば、スニーカーが好きな人はスニーカーを集め続けるだろう。だから、自分の持ち物をフィルタリングして、こだわりのモノを持つことはミニマリストだけの特徴ではない。マキシマリストだって、一つのものに強いこだわりや情熱を持つ人が多く、それゆえに物を増やしている。
こう考えると、ミニマリズムとマキシマリズムは対極のように見えて、実は同じ根を持つ考え方ではないかと思うのだ。
とはいえ、物理的なスペースには限界があり、無限に空間を拡張することはできないから僕はやはりミニマリズムを選ぶ。自分が本当に好きなもの、大切なものだけに囲まれて暮らしていくスタイル、という柔い感じではなくて、道具の選別と所有から人間のあり方や生き方を考え続けていきたい。やや大きく言えば。
Q&A
皆さんからの質問にお答えするコーナーです。
スクリーンタイムを減らしたい一方で、ついつい見てしまうのと(これは自分の問題ですが!)、情報収集が基本的にスクリーン越し(本などもありますが、即時的ではないので・・・)になってしまって、現代の都心の生活ではなかなか難しいなぁと実感しています。tokimaruさんも以前動画で似たようなトピック「SNSミニマリズム」をお話しされていたと思いますが、情報収集はどのようにされていますか?
情報収集を手放している、と言いたいところですが、実際にはあらゆる情報に触れています。しかしそれを「情報」とあまり捉えていないことが、ポイントかもしれません。多くの方と同じように、信頼あるソースのニュースサイトをたまに見たり、個人のメルマガを購読していたり、Podcastを聞いたり、新聞はニューヨーク・タイムズやCNNを読んでいます。もちろん原文の英語で。情報ではなく、それはすべて楽しみのためのコンテンツのように捉えています。あとはやっぱり、究極の情報源は人に会うことだと思いますね。複数の会食やパーティーは少なくなりましたが、その道を極めている人と、少数で食事をしたりミーティングに日々勤しむことが最大の情報収集になっています。zoom上の「スクリーンタイム」に加算される会合より、実際に会うほうがグッと何かが入ってくることは言うまでもなく。(限りなく情報が少ない人もいます)
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今週気になる記事
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・Learn how to stop being a people pleaser with these 10 tips
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伝説的な建築家、安藤忠雄氏が設計した直島新美術館が 2025 年春に開館し、日本を代表するベネッセアートサイト直島に新たな主要な文化施設が加わります。直島市本村地区近くの丘の上に位置するこの美術館は、特にアジア地域のアーティストに焦点を当てた現代美術の中心的な空間となる予定です。
Outro
今週は東京にいます。先週は笠取山で一泊二日の山行を行いました。映像は本日YouTubeにアップしますのでよろしければ御覧ください。とにかく寒かったです。たまたま滞在した日の気温が、ぐっと冷え込むタイミングで1800m地点で表示上1℃でしたが、おそらく0℃を下回っていたような気もします。結露で濡れたテントは、明け方バリバリに凍り、撤収に時間がかかり出発が遅れました。「凍る」という想定がなく、グローブやテムレスの類を持っていかなかったので、手の感覚が無くなり、一足先に真冬の気分を味わってきました。
山の中で過ごすと、街に降りた時に、長いあいだ別世界に行っていたような感覚に陥ります。まるで過去にタイムスリップして1時間しか経っていないのに、現在の地球に戻ると10年の時が経過して何もかも変わってしまっていたような、そんな感覚です。デイハイクをする人でもそれは感じていると思いますが、暗闇の中で夜を過ごすと、さらに時間がストレッチされる感覚があります。深い動物的感覚も呼び起こされるようです。そのせいもあってか、都市での生活に違和感を感じ、馴染めず、どこかふわふわとした一週間を過ごしてきました。
テン泊で行きたい場所はまだまだあるのですが、自分の山行スタイル的にはもうぎりぎりの季節です。山小屋は11月末まで営業しているところが多いですが、頂上付近は積雪するため、冬山用の装備が必要になってきます。今回の笠取山でも明け方は霜柱が立ち、滑る箇所も多かったです。
冬に向けてワードローブをいくつかアップデートし、東京での食事や住環境の見直しをしています。長らく、と言っても4年程、山で使うギアを家でも使用していますが、その心地よさを再発見したり。定住することと、移動すること、その中で道具の使い方や、自分自身の生活様式の根本的な見直しを図る時期に入っていると感じます。